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ねじりまんぼ番外編/矢穴X
淀城の矢穴

平成27年4月2日撮影
矢穴W(高槻城跡)矢穴・全体目次矢穴Y(彦根城の矢穴)



淀城の矢穴と大名刻印

淀城の矢穴

好天に誘われて、花見を計画しました。

当初は”桜と矢穴”を目的に

和歌山城まで行くつもりでしたが、

体調が少し悪いので、

近場の八幡背割り堤に目的地変更です。

ところが、大山崎インターまで来たところで、大渋滞。

何とか八幡方向に右折したものの、

その先も長蛇の列。

仕方なく目的地を”桜と矢穴”が楽しめそうな”淀城”に変更しますた。


■豊臣秀吉が、側室茶々のために築いた淀城は、

今の城趾より北へ約500メートルの位置にあったそうです。

現在の淀城は、1625年に竣工、

1723年からは春日局の子孫である稲葉一族が明治まで居城としました。

(以上現地案内板より)

ただ、残っているのは本丸、天守付近のみとなっています。



左の石に大名刻印らしきものが・・・・
右下の石に四つの□の大名刻印
天守北面東端


■河津桜は終盤でしたが、

ここでお弁当を広げて、プチ花見。

その後の城内散策では、矢穴を多数発見しました。

高槻城のや穴に比べると、

比較的大きなもの(手のひらサイズ)が多かったです。

矢穴の形状を計って分類するとなると、

それだけで一仕事なので、これ以上の深入りは避け、

先人の論文を読むことにします。


大名刻印

■偶然ですが大名刻印も発見。

帰宅してから再度写真をよく見ると、

けっこう写ってました。

「一に◯」は毛利家を示すそうですが、右横に「三」

これ以上踏み込むと、

   ねじりまんぽ⇒矢穴⇒大名刻印

と、ますます広がりそうなんで、

これもここらで止めときます。



○に十が突き抜けているのは轡(くつわ)十字、○に□も


平成28年2月27日、淀の河津桜を見に行った帰りに
京阪の降下したから撮影。天守南東角の矢穴。


撮影/平成28年2月27日

淀競馬場

■矢穴を堪能した後は、京阪電車沿いに歩いて淀競馬場へ。

競馬場に隣接する公園で一服。

こちらはソメイヨシノが満開で、

大勢の親子連れがお弁当を広げていました。

空いてるし、交通の便は良いし、無料だし。

もちろんトイレも有りますので、

花見の穴場ですね。


公園入り口の桜並木
あまおうイチゴソフト/ミニストップ 公園内、ドリルの矢穴

淀城、矢穴-2
平成28年2月27日

2016年、淀の河津桜を見に行った帰りに
京阪の降下したから撮影。天守南東角の矢穴。



淀城、矢穴-3
2024(令和6)年3月15日

河津桜を観たついでに

  淀城

に行ってきました。

久々に「矢穴」との再会です。




INFORMATION

参考文献、リンク

矢  穴

■ねじりまんぽ 番外偏−2

  矢穴-T/ 「山崎煉瓦アーチ群」の矢穴
  /石を割る時にあけた穴「矢穴」。戦国時代のロマンと明治のねじりまんぽが結びつきます。

  矢穴-U /伊賀「上野城」の矢穴
  /ねじりまんぽ探検の途中で寄り道した「上野城」。『石垣の高さが日本一』と言うふれこみなので、矢穴発見の期待大!!

  矢穴-V 
  /ここにも、あそこにも・・・。各地で見ることができる「矢穴」を紹介します。

  矢穴-W/「高槻城」の矢穴
  /「山崎煉瓦アーチ群」の”元祖”、高槻城趾の矢穴を探しに行きました。

  矢穴-X/「淀城」の矢穴
  /八幡の背割り堤へ花見に向かいましたが大渋滞。方向転換して淀へ向かいました。
   大名刻印も発見。いくらでも脇にそれていきそうです。

■ねじりまんぽ番外偏−1

  車  石/大津〜京都に残る「車石」を探して、山科の旧東海道を中心に歩きます。


■ねじりまんぽ/本編
文  献

■矢穴考 (滋賀県文化財保護協会-紀要21より)/オフィシャルPDFファイル(外部リンク)

ちょっとお出かけ/淀河津桜

■淀水路/河津桜
/2024/一足先に春爛漫、淀・河津桜
/2023/満開!淀・河津桜
/2016/咲きはじめ、淀の河津桜
/2014/早咲き満開、淀の河津桜


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