TOPうんちく今、土木が熱い!土木見学土木見学リストねじりまんぼ>番外編-矢穴V−各地の矢穴

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ねじりまんぼ番外編/矢穴-V
各地の矢穴

竹田城/平成22年6月5日撮影

矢穴U(上野城の矢穴)矢穴・全体目次矢穴W(高槻城の矢穴)

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矢穴探索

も く じ

■このページ(矢穴V)では、次の矢穴を紹介しています。
二条城残念石(大山崎)中之島
知恩院和歌山城・岡公園相国寺天王山彦根城
石清水八幡宮京都山科、旧東海道姫路城名古屋城竹田城
参考文献、リンク

■矢穴全体もくじ
矢穴-T/ 「山崎煉瓦アーチ群」の矢穴を紹介します。
矢穴-U/伊賀「上野城」の矢穴です。
矢穴-V/このページです。
矢穴-W/ねじりまんぽからこの話題が発生した原因、「高槻城」の矢穴の紹介です。
矢穴-X/「淀城」の矢穴。大名刻印も発見。いくらでも脇にそれていきそうです。
      
  二条城の矢穴   

■令和元年12月10日(火)

地元の研修会で京都の”二条城”に行ってきました。

1603年に築城。

1750年に天守閣は消失しましたが、石垣は残っています。

そして、あそこにもここにも・・・。矢穴があります。

お堀沿いにも矢穴のある石がたくさん有りましたが、

遠目だったのではっきりした写真が撮れませんでした。

散り紅葉も少しだけ楽しめました。(2019/2/9記)


令和元年12月10日撮影


■関連情報

/二条城オフィシャルサイト(外部リンク)

     
        残念石/大山崎

■平成30年11月10日(土)

桂川左岸、大山崎の淀川河川公園に

  残念石

が展示されているというので見に行ってきました。


■ここの「残念石」は、

徳川二代将軍秀忠によって行われた

大坂城の再建工事の際に、

当時、廃城(1619年)になっていた伏見城の城石を

木津川を利用して大坂まで筏で運ぶ際、

この地点で急角度で淀川に合流する場所だったため、

筏が転覆して落下したものと推定されています。

落ちるということが落城を連想させ縁起が悪いということで

城の石垣として使われず、その場で放置されました。

目的を果たせなくて残念だ、ということから「残念石」と呼ばれています。

淀川を改修して公園を整備する際に引き上げられました。

平成30年11月10日撮影

■関連情報

住所/京都府乙訓郡大山崎町下植野中島

地図


      
  大阪・中之島の矢穴

■平成30年10月25日(木)

大阪中之島の「大阪市立東洋陶磁美術館」へ「青磁」の展示会を見に行ったとき、

美術館の近くで

   木村長門守重成表忠碑

を見つけました。

豊臣秀頼の側近で、大坂夏の陣「若江の戦い」で最期を遂げました。

石碑は、かつてこの地にあった豊國神社内に立てられたのですが、

神社が大坂城内へ移転した際、そのまま残されたものです。

石碑の外周に矢穴を観ることができます。



平成30年10月25日撮影


■関連情報

住所/〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島1丁目1

地図

      
  知恩院の矢穴   

■平成29年4月2日(日)

知恩院”国宝御影堂修理現場見学会”に行ってきました。

三門から工事中の御影堂までの短い距離でしたが、

今まで何度も通っているのに

改めてよく見ると、矢穴がたくさん有ることに気づきました。


平成29年4月2日撮影


■関連情報

ちょっとお出かけ>平成29年>国宝御影堂修理現場見学会
      
和歌山城石垣の石切場
岡 公 園

■平成28年3月21日、

狭山池の放水路にある「ねじりまんぽ−東除け川橋梁」を探検の後、

矢穴の資料を探しに、少し足を伸ばし、

和歌山城横の「岡公園」まで行きました。


私の記憶では

   矢穴を空ける道具が展示してある

というものでしたが、全くの勘違い。

後で調べると、天守閣に展示してあるそうで

目的を達することができませんでした。


■岡公園内の矢穴は3箇所ほど有るそうですが、

1箇所しか発見できませんでした。

和歌山城の桜は全く咲いていませんでしたが、

お城の駐車場は満杯。長蛇の列でした。

我々は偶然美術館の駐車場に入れましたが、

比較的空いていました。


公園の中に岩山というより、まさに石切場跡が公園に
子供達の遊び場なので、石を突っ込んだりして傷だらけの矢穴
平成28年3月21日撮影

        相国寺の矢穴   

■平成28年2月6日

今年も少し遅くなりましたが、石清水八幡宮、伏見稲荷へ初詣に出かけました。

続いてJR、地下鉄を乗り継いで、相国寺へ。

目的は1月から公開されている法堂(はっとう)の”蟠龍図”を見ること。

堂内で手を打つとその反響が”鳴き声”に聞こえるので

”鳴き龍”とも言われるそうです。


■同志社と同女の間を抜け、

境内に入って直ぐに”矢穴”発見。

今年の運気は上がってきたようです。


相国寺/総門を入って直ぐの左側に発見
同志社大学/相国寺から烏丸通へ抜ける道で発見
平成28年2月6日撮影
     
天王山の矢穴?

■平成27年3月28日、

大山崎山荘の枝垂れ桜を見に行ったついでに、

天王山の山麓で、矢穴探し。


地元の人から

   聖天(しょうてん)さん

の愛称で呼ばれる山崎聖天(観音寺)は、平安時代の創建。

本尊の観音菩薩より、歓喜天の信者が多く、

夫婦和合、除災招福、商売繁盛のご利益が特に多いとのことで、

天下の天皇、将軍、大名、豪商が、こぞってご利益をお願いするので、

庶民がお願いする隙間がなかったと言われています。

しかし、その後荒廃し、1864年(元治1年)、

蛤御門の変(元治の変)で天王山の山麓は灰燼に帰しました。

現在の建物は、明治23年以降順次復興されたといわれています。


山崎聖天/平成27年3月28日撮影


■写真は聖天さんの「仁王門」を入って

突き当たりの石垣で撮影しました。

個体数が少ないので何とも言えませんが、

矢穴と思われます。

歓喜天が祀られている聖天堂の西側には、

高い石垣があるのですが、

矢穴らしきものは発見できませんでした。

     
彦根城の矢穴

■平成27年3月12日、彦根市教育委員会から

   彦根城で、佐和山城の石垣と瓦片を確認

との発表が有りました。

彦根城が佐和山城の石垣を利用したことは、

文献にあったそうですが、初めて現物が確認されたことになります。


佐和山城は、彦根城の東約2キロにあり、

名神高速を走っていると見ることができます。

石田三成が関ケ原で敗れたあと、彦根城築城開始に伴い廃城となりました。

佐和山本丸跡に残る石垣にはチャートが確認され、

今回、彦根城「鐘の丸」でもチャートと湖東流紋岩が確認されたそうです。

鐘の丸の石垣は築城当初に造られ、一度も修理されていないとのことです。


■そこで以前、「古代エジプトビール見学会」後に

彦根城に行ったことを思い出し、

当時の写真をよく見てみると・・・・、

有りました、ここにも矢穴が。

近々、是非行ってみたいものです。


平成16年5月1日撮影


■平成28年11月13日、

本格的に矢穴を探しに彦根城に行きました。

たくさん見つかったので、独立したページを作りました。

是非、ご覧下さい。

また、偶然にも”ひこにゃん”と遭遇、

ひこにゃんのパフォーマンスもお楽しみ下さい。

  矢穴-Y国宝「彦根城」の矢穴

■関連情報

ちょっとお出かけ>平成16年>「古代エジプトビール」講演会 及び 「エジプト古王国ビール」味覚評価会     

石清水八幡宮の矢穴

■平成27年1月24日、

少し遅くなりましたが、石清水八幡宮、伏見稲荷、若一神社へ初詣に出かけました。

予想に反して、結構多くの参拝客がおられました。

三が日より断然空いてるし、

屋台が無いので風景も自然に目に入ってくるし、

何と言ってもゆっくりお参りできるのが一番。

来年も、このパターンにしようと決定です。


■石清水八幡宮と、淀川を挟んだ山崎の地との結びつきは古く、

山崎の離宮八幡宮は石清水の離宮です。

初詣は石清水八幡宮にお参りするのが山崎周辺の恒例になっています。


私が子供の頃は、山崎に淀川の起点、

三川合流地点を横断する渡し船がありました。

その名残か、今でも正月三ヶ日のみ、

JR山崎駅から八幡行きの京阪バスが出ています。


さらに、平成25年12月に阪急西山天王山駅が出来てからは

1時間に1本ですが淀駅までのバスが運行される様になり、

平成26年は、新駅からのバスを利用しました。(大人200円/所要時間12分)

今回は、淀競馬開催日でしたので、

JR山崎駅から競馬場行きのバスで淀まで行きました。


ゆとりの参拝のおかげで、

石清水八幡宮表参道

三ノ鳥居下、豊蔵坊跡付近で・・・矢穴発見!!

いつもは目に入らないモノが見えます。


信長塀/織田信長の寄進と言われています
表参道三ノ鳥居下、豊蔵坊跡付近
平成27年1月24日撮影


■石清水八幡宮
 ●京阪八幡市駅から京阪男山ケーブルで10分(大人片道200円)/徒歩約一キロ
 ●所在地/〒614-8588 京都府八幡市八幡高坊30
 ●TEL/ 075-981-3001 FAX/ 075-981-9808
 ●関連HP/オフィシャルホ−ムペ−ジ(外部リンク)

京都山科、旧東海道

■車石を探していて、山科を散策中、

日ノ岡ホッパラ町で、偶然見つけた矢穴です。


京都市山科区日ノ岡ホッパラ町46-4
平成26年9月7日撮影


姫路城の矢穴

■平成25年4月4日、

20年に一度しかない

  三ツ山大祭

が、開催されていると聞き

これはもう二度と見られない確率が高いと、一路姫路

  播磨国総社(はりまのくにそうしゃ) 射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)では、

に行きました。


■帰路、満開のさくらに釣られ姫路城へ。

天守の工事を見学しようとしましたが、待ち時間が長かったので、

後日、5月22日にもう一度、姫路城を見に行きました。


その時も、矢穴のことを知らなかったので、

再度、当時の写真をよく見ると、

やはり、ちゃんと写っているでは有りませんか!

平成25年5月22日撮影


■関連情報

ちょっとお出かけ満開の姫路城三ツ山大祭(平成25年4月)

/矢穴Z/姫路城の矢穴(平成29年10月)

名古屋城の矢穴

■平成24年年9月、

名古屋城築城の石切場である、南知多町篠島の「矢穴石」が

名古屋市に贈られました。

矢穴石は縦1.7m、横1.6m、奥行き2.0mで重さ約8トン。

部に矢穴が並んでいます。

加藤清正は名古屋城の石垣を築くため、

篠島から多くの石を名古屋城へと運んだと伝えられています。

現在、約300個の石が篠島に残っているそうです。

贈呈された矢穴石は、

名古屋能楽堂南広場の加藤清正像の近くに置かれているそうです。


名古屋城 篠島矢穴石寄贈式

竹田城の矢穴

■まだ、今のような大ブームになる前の平成22年6月5日、

人気の無い竹田城に登ってきました。

当時は、矢穴のことを知らなかったので、

漠然と、これが”穴太積み”か・・・・

と思いながら眺めていただけでした。


矢穴を知ってから当時の写真をよく見ると、

ちゃんと写っているでは有りませんか!

平成22年(2010)6月5日撮影


■関連情報

ちょっとお出かけ>平成平成22年>天空の城、竹田城跡


INFORMATION

参考文献、リンク

矢穴とは

イラスト「滋賀県文化財保護協会-紀要21」より

■ねじりまんぽ友人の”たけちゃん”がブログで

   ”煉瓦アーチ”の側壁に”矢穴”を見つけた

というので早速見に行きました。

以前から彼は、

   高槻城の石垣の石が明治期鉄道建設に使われた

ことに触れていたのですが、読み飛ばしていました。


■大河ドラマでも登場するキリシタン大名高山右近の高槻城は、

明治維新で廃城。

石垣の大半が鉄道建設のため、橋台や基礎に転用されたそうです。

城趾には切り出した際の「矢穴」痕や刻印を残す石が展示されています。

さらに、大山崎から茨木にかけてのJR線(山崎煉瓦アーチ群)の基礎石は、

かっての高槻城の石垣石だと言われています。

矢  穴

■ねじりまんぽ 番外偏−2

  矢穴-T/ 「山崎煉瓦アーチ群」の矢穴
  /石を割る時にあけた穴「矢穴」。戦国時代のロマンと明治のねじりまんぽが結びつきます。

  矢穴-U /伊賀「上野城」の矢穴
  /ねじりまんぽ探検の途中で寄り道した「上野城」。『石垣の高さが日本一』と言うふれこみなので、矢穴発見の期待大!!

  矢穴-V 
  /ここにも、あそこにも・・・。各地で見ることができる「矢穴」を紹介します。

  矢穴-W/「高槻城」の矢穴
  /「山崎煉瓦アーチ群」の”元祖”、高槻城趾の矢穴を探しに行きました。

  矢穴-X/「淀城」の矢穴
  /八幡の背割り堤へ花見に向かいましたが大渋滞。方向転換して淀へ向かいました。
   大名刻印も発見。いくらでも脇にそれていきそうです。

  矢穴-Y/国宝「彦根城」の矢穴
  /以前行ったときには”矢穴”に関心無かったのですが、今回その気で見に行くと、いくらででもありました。


■ねじりまんぽ 番外偏−1

 車 石/大津〜京都に残る「車石」を探して、山科の旧東海道を中心に歩きます。

  
文  献

山崎煉瓦アーチ群

JR京都−大阪間(約43km)には、

明治9年までに作られた煉瓦アーチ橋(スパン1.0m以上)が約80箇所有りました。

その内、向日町〜山崎〜高槻〜茨木に作られてものは殆どが残っており、

日本全国に26箇所しか残っていない”ねじりまんぽ”も3箇所含まれるなど、

貴重な土木遺跡群となっています。

そこで、この区間を全国的知名度の高さと、

距離的中心駅名(現状では島本駅)から

山崎駅の名を取って「山崎煉瓦アーチ群」と名付けました。


B型マンボとS型マンボ

■”たけちゃん”のブログ( Day-By-Day(外部リンク) )より

●H26-06-22

坑門はレンガを積んである。イギリス積みである。

ちなみにアーチは長手積みという積み方である。

レンガ=Brickの頭文字をとり「B型まんぼ」と言ってみた。


●H26-07-08

東海道線の山崎〜摂津富田には面壁が石でできたまんぼも多数ある。

これをストーンのSをとって「S型まんぼ」と呼ぶとしよう。

またこのタイプは面壁だけに限らず、側壁にも石積みが多用され、

面壁のウイングも極めて立派な石が用いられている。


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