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KITAHATA URBAN DESIGN CORPORATION

六把野井水拱橋

平成27年2月28日撮影


三岐(さんぎ)鉄道・北勢(ほくせい)線

■平成27年2月28日、

今回は、「三岐鉄道北勢線」の

  ねじり橋とめがね橋

が目的地です。
前回同様、高校以来の友達たけちゃんと、HIROさんの三人旅。


名神八日市ICから東近江・八風街道(はっぷうかいどう)を東に走り、

道路際に雪が残る山道に入って、

石榑トンネルを通り抜けて三重県いなべ市へ。

路面が凍ってないか心配しながらの山越えです。


■ねじり橋、正式には「六把野井水拱橋(ろっぱのいすいきょうきょう)」、

めがね橋は、「明智川拱橋(あけちがわきょうきょう)」。

拱橋(きょうきょう)とはアーチ橋のことで、

共に土木学会選奨土木遺産に指定されています。


一時間に一本しかない”黄色い電車”とのコラボも撮影できるか?

これも今回の楽しみです。



明智川拱橋(通称めがね橋)

■国道421とイオンのある国道365との交差点からしばらく進むと、

見えてきました3連アーチ橋が!!

明智川拱橋(通称めがね橋) はコンクリートブロック製の3連橋で、

ねじり橋「六把野井水拱橋」の西、約200m強の場所にあります。


■現着したのは11時少し前。

事前に調べた北勢線の時刻表では、上りと下りの電車が来る時間です。

しばらく待っていると近くの踏切から”カン・カン”と言う警告音。

正確な通過時間までは解らなかったので、

あわててカメラの準備をします。


西の麻生田(おうだ)からやってきたのは

4両編成、クリーム色と深緑のツートンカラー電車。

北勢線はナローゲージ(軌間762mm)の車両。

お目当ての”黄色い電車”では有りませんが、シャッターを切ります。

自転車程度のスピードなので、何枚も写真を撮ることが出来ました。



明智川拱橋(通称めがね橋)
右の森の中に「六把野井水拱橋」が有ります
明智川拱橋(通称めがね橋)
橋脚から


■しばらくすると今度は東の楚原(そはら)方向から

通称「マッチ箱電車」とも呼ばれている3両編成の”黄色い電車”がやっていました。

ここは、シャッターチャンスです。


■帰り際にコンベックスとレーザー距離計を使って観測。

アーチをなすコンクリートブロッのク形状は

   28cm×28cm×60cm

アーチの内径は

   L=5.78m

水衝部の幅

   B=1.22m

巾員は「六把野井水拱橋」とほぼ同じ

   W=2.44m。

ちなみに土木学会のホ−ムペ−ジでは、

   橋長=24.08m  スパン=7.01m(3連アーチ)

となっています。

  L+B=7.00m≒公式スパン 7.01m

ですから、観測寸法とほぼ同じです。


明智川拱橋(通称めがね橋) と「マッチ箱電車」
橋の右下にたけちゃんが小さく写ってます
これがその時のたけちゃんの写真
鈴鹿山脈の竜ヶ岳をバックに



六把野井水拱橋(通称ねじり橋)

■上下の電車を見送って、

お隣のねじり橋へ、歩いて向かいます。

六把野井水拱橋(ろっぱのいすいきょうきょう)は

    正径間 5.9m、斜径間 9.1m、巾員W=2.5m

    斜架角 θ=40度、 起拱角 β=37度

と、堂々たるねじりまんぽです。

また、現存するねじりまんぽでは、

唯一のコンクリートブロック製です。



南面
北面
尋常ではないねじりです
造った人達の銘板/工事を請け負った郡竹治郎の名が左端にあります
実測起拱角 β=37度 付近のサイン
明るすぎて距離計のレーザが見えないので、プレートを置いてもらっています。


■まだコンクリートが珍しかった時代。

東京駅(大正3年(1914)竣工)ですら

鉄骨煉瓦造(コンクリート造床)で建設された時代。

鈴鹿山麓の地方鉄道で試みられた、凛とした土木構造物だといえます。


出所は不明ですが、建設中の写真も公開されています。

当時の人達の心意気までが伝わってきます。


■六把野井水拱橋は大正5年(1916)竣工。

以来100年、鉄道橋梁としてその荷重に耐え、

今も現役で働く姿に感動です。


六把野井水拱橋、建設中の写真/クリックで大きな写真
海外のコンクリートブロックねじりまんぽ
施工中の写真/1898
Sickergill Skew Bridge over the River Raven at Renwick
(上2枚は100年以上前の写真で、著作権が切れているので掲載しました)


■写真をとったり計測したり、あっという間に1時間。

11時43分麻生田(おうだ)発上りと

11時51分楚原(そはら)発下りの列車が通過する時刻です。

踏切が鳴るだろうと思っていたら、今度は全然聞こえません。

再び油断を突かれ、上り電車がやってきました。


またまた、あわてて明智川拱橋の通過場面を撮影。

走って六把野井水拱橋に戻ろうとしましたが、

今や学生時代陸上部の面影もなく・・・・・・・間に合いませんでした。


しかたなく、年相応に次の列車を現場で待ちます。

すると、しばらくして楚原(そはら)発下りの列車が通過。

これも黄色い電車。ラッキー!!

今回は上手く撮れました。


麻生田(おうだ)発上り⇒/私・・・走ってます(たけちゃん撮影)
←じっくり待って撮った楚原(そはら)発下りの列車


■気がつけば12時を回っています。

お腹が空きながらの帰路、

蕎麦が名物らしいので、適当なところを探しながら、

八風街道まで戻ってきました。


永源寺近くで目に入った

   レストラン「ふる里」

で 昼食をとることにします。

その後、永源寺を参拝します。⇒詳しくはちょっとお出かけ>永源寺をご覧下さい。


データシート


図−β実測値と理論値の比較(クリックで拡大図)

■坑門角α=斜架角θとした場合、

斜架角 θ=40度のβ(起拱角)の理論値は37°

実測値も37°で理論値とぴったり同じです。


文献2)「鉄道と煉瓦」に記されている

    斜架角θ=40°

とも合致します。


以上の調査データをまとめ、データシートとしてPDFにしました。

  ⇒⇒No9 六把野井水拱橋 調査データ(PDF)
    

■なお上記「調査ーデータ」を作成するにあたっては、下記の考えに従いました。

●ねじりまんぽの番号
 /「鉄道と煉瓦」表4-1”一覧表”(P117)における番号を採用。

●方向
 /東西南北の表示は主たる方向とした。

●経度緯度
 / 国土地理院地図-航空写真閲覧サービス より求めた。

●煉瓦形状
 /手作り煉瓦であるので寸法にバラツキがある。故に代表値。

●積み方/イギリス積み、オランダ積みの区分 (今回は無関係)
 /コーナーの仕上げ形状により、イギリス積みとオランダ積みが区分されるので、
 /文献「鉄道と煉瓦」にならい、一般的に”イギリス積み”と表記。
 /ただし、コーナー部が”オランダ積み”と確認できたもののみ”オランダ積み”と表記。

●θβの左右区分
 /「鉄道と煉瓦」にならい、側壁に向かってアーチの煉瓦が右上がりの場合「右」 、左上がりの場合「左」 と表記。

●中心キロ程(今回は不明)
 /現行距離程による。(開業時とは異なる)

検  証

■2.5mと言う狭い幅員なのに、

   何故、普通のコンクリートブロックアーチ橋

にしなかったのか?と言う疑問が残ります。

用地幅は増えますが、その方が簡単です。

高さが合わなかったのでしょうか。

技術を示したかったのかもしれません。


■検証してみます。

この橋梁を半円アーチ橋で1連で造った場合、

径間が3m伸びる必要があります。

その場合の径間は9.1+3=12.1m、

アーチ高はその1/2ですので h2=6.05mとなります。

とても今の地盤面からの高さでは無理です。


■欠円アーチにした場合でも、

アーチ高は、3.8mとなります。

(山崎煉瓦アーチ群「老ノ辻3連橋」「神足6連橋」に準じて、

アーチ高=0.55×半径R としました。)


■一歩譲って2連にした場合、単純二等分としても、

橋脚幅を考慮して、アーチの高さ h2=約2.7mとなります。

今より低くはなりますが、

水路と里道の間に橋脚が必要です。

お隣の明智川拱橋の例では厚さ1.2m以上です。

里道か水路か、いずれかを捻らなければなりません。


これを「ねじりまんぽ」とすれば、

正径間は5.9m、アーチ高はたったの2.9mです。

橋脚も入らず、水路も今までどおり里道もまっすぐ通せるのです。


■ミソはここに有ったのでは無いでしょうか。

当時の人はどう考えたのか?

大正時代の大先輩達の思考に思いをはせるロマンです。


■下の写真は、たけちゃん作成の展開図と模型です。

たけちゃんのブログより⇒Day by day(外部リンク)(あたらしい画面が開きます)



六把野井水拱橋/位置図





INFORMATION

1.「ねじりまんぽ」とは
2.「ねじりまんぽ」を見に行こう
3.「ねじりまんぽ」の構造
4.「ねじりまんぽ」建設再現
5.番外偏
6.マスコミで紹介されました
7.「ねじりまんぽ」一覧表
8.参考文献/参考外部リンク


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