TOPうんちく今、土木が熱い!土木見学土木見学リストねじりまんぼ>No32-姉橋/旧表記:(仮)栃原橋梁

KITAHATA URBAN DESIGN CORPORATION

姉橋(あねばし)
旧表記/(仮)栃原(とちはら)橋梁

平成28年10月29日撮影
(今回の写真撮影/北畑+たけちゃん)

▼前へ(No.31-穿屋川橋梁)/ねじりまんぽ・本文/次へ(No34-皇后崎橋梁)▲
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追加記事
2016(平成28年)公開以降に追加

名称は「姉橋(あねばし)」と判明
2022.1.2、7追記

■2022.1.7追記

「姉橋」の名称根拠について

  くまの体験企画/内山裕紀子さん

に尋ねたところ、

  「姉橋と妹橋のことは、地域の古老たちならば知っているようです。

  彼らの若い頃は、現役の橋でしたから。」

との返答でした。

つまり、「古老からの伝聞」と言うことになります。

また、実際に話を聞かれた方は

  大台町ふるさと案内人の会
  オフィシャルホームページ(外部リンク)

のメンバーの方とのことでした。


2022.1.2追記

2021年12月29日、

熊野古道伊勢路にてエコツアーを実施しておられる

  くまの体験企画/内山裕紀子さん

から、「(仮)栃原橋梁」の名称について情報提供がありました。

内山裕紀子さんは熊野古道の歴史研究者でもあります。

これを受けて、今後本橋梁の名称を

  「姉橋(あねばし)」

に変更いたします。


以下、頂戴したメールからの抜粋です。


−−−−−抜粋−−−−−

■ねじりまんぽの(仮)栃原橋梁の名は、

  「姉橋(あねばし)」

といいます。

そして、姉妹水と書かれているほうは「妹橋(いもうとばし)」です。

昔、この谷で巡礼の姉妹が盗賊に襲われて殺されてしまい、

その生首が置かれていたという、とても悲しい話が伝わっています。

「姉妹水」「姉橋」「妹橋」「生首谷(なまこべだに)」という名の由来です。


■姉橋と妹橋が通る熊野街道は、

松阪市新町〜駅部田町〜射和町〜多気町相可

〜平谷〜おきん茶屋〜妹橋・姉橋を経て、

大台町栃原で熊野古道伊勢路に合流します。

いわば

  「熊野古道伊勢路の脇街道」

  「もうひとつの熊野街道」

というイメージです。

地元の人たちは単に「熊野道(くまのみち)」と呼んでいます。


■これでは他の熊野街道と区別しづらいので、

地元郷土史家たちの了解を得て

  「熊野街道・松坂道(まつさかみち)」

と名付けました。

松坂は松阪市のことですが、

古い街道の紹介なので「坂」の文字を使っています。

(江戸時代は松坂、明治以降は松阪、と地名漢字が変りました)


■この道は知名度はありませんが、

歴史的にとても面白いので、個人的に調査をいたしました。

今春に歴史資料をまとめて、地元の図書館に置く予定です。

廃道のまま放置されていますので

歴史資料をまとめることによって、

古道ウォークに活用されたり、姉橋が文化財指定されたり、

といったことに繋がるといいなぁと思っております。

−−−−−以上−−−−−


■関係ホ−ムペ−ジ

  くまの体験企画/代表:内山裕紀子
  オフィシャルホ−ムペ−ジ(外部リンク)

  大台町ふるさと案内人の会
  オフィシャルホームページ(外部リンク)


「国内唯一の道路橋」について
2020.4.14追記

■平成28年(2016)当時に

『”ねじりまんぽ”としては国内唯一の道路橋です。』

と記載しましたが

近年、長崎市戸町4丁目において

  No36-石造ねじりまんぽ/参考ブログ(外部リンク)

の情報が、ネット上に多数見られます。


国土地理院の1900年頃の地図では山間の水田、

1925年頃の地図では「火」の記号が見られますので「火薬庫」が有ったことが解ります。

ネット上には「長崎税関の火薬庫」との記載もありますが、

確認はしていません。


周辺に鉄道の記号はどの年代の地図でも見当たらず、

日本で唯一の「石造り」と言うだけでなく

「32-「姉橋(あねばし)」と並ぶ二つ目の道路橋である可能性があります。


熊野古道に残る道路橋梁
平成23年に新発見

2016(平成28年)公開


■平成28年10月22日の伊勢内宮外宮参拝に続き、

2週連続で三重県に行ってきました。

今回の走行距離往復約300km。

目的の熊野古道”ねじりまんぽ”の他、

  謎のコンクリート暗渠

  紀勢本線鉄橋

  熊野古道煉瓦アーチ橋

を見てきました。


■今回はメンバーが一人増え三人です。

まず、三重県多気郡多気町〜大台町の熊野古道にある

  ねじりまんぽ/(仮)栃原(とちはら)橋梁

  (2021.12.29 正式名称/「姉橋(あねばし)」と判明)

を探索です。

文献「鉄道と煉瓦」に記載はなく、

”廃道マニア”によって平成23年に新発見されました。

    雑誌「廃道をゆく3」P86(イカロス出版)

”ねじりまんぽ”としては国内唯一の道路橋です。

我が国で28例しかない”ねじりまんぽ”の一つ。

完全に廃墟と化した熊野古道に残る道路橋梁。

築造年月日不明の煉瓦造り「ねじりまんぽ」です。

    

上流(西側)から
上流(西側)から
パラペット(イギリス積)、端面煉瓦板/上流(西側)
実測した起拱角=24°/右岸
側壁高3.3m 落下した笠石/下流左岸
端面煉瓦の厚さは2cm程度 パラペット72cm/端面煉瓦60cm
下流(東側)から


端面を煉瓦板で被覆

■濁川橋から濁川の支川に沿うようにして、

熊野古道を北へ進みます。

(詳しいアクセス方法は後記)

道路橋ですので高欄が有りました。

フランス積みでコンクリート製の笠石が設置されています。

側壁(橋台と言った方が良いかも)はコンクリートですが、

パラペットはイギリス積みとなっています。

また、アーチ部の端面は通常煉瓦小口が剥き出しですが、

60×15〜17cmの扇状の煉瓦で覆われており、

煉瓦版の厚さは2cm程度と非常に薄いものです。

非常に残念なことに発見当時よりさらに破壊が進んでおり、

早急な保存が望まれます。



下流側(東側)高欄/フランス積/コンクリート製笠石
上流側(西側)高欄 下流側(東側)高欄
上流側(北西部)高欄の破損 下流側(北東部)高欄の破損
端面煉瓦の厚さは2cm程度 パラペット72cm/端面煉瓦60cm

今回は動画も撮ってみました/YouTube
たけちゃんの携帯をスタッフに固定して撮影/YouTube
小型カメラをスタッフに固定して撮影/YouTube

■後日、たけちゃんから、現地周辺の”おぞましい”情報がもたらされた。

(参考/「日本の廃道」62集)


1.死人くずし/栃原

国道422号線添い、川添神社の裏の濁川に沿った道路、

(我々が通ったところか?)

カーブになった所は、昔 から”死人くずし”という異名があるそうだ。

そこは身寄りのない人が死んだ時、

やむなくそこへ堀 ったのでこの名がついたという。


2.なまこべ谷

栃原から佐原へ行く途中、42号線を東に入った山の谷。

昔は、”なまこべ”といって当時細いさび しい道があったらしい。

その道を行く人はよく人間の生首が捨 てられているのを見たという。

山賊、おいはぎのはびこった頃の熊野街道の話である。

(大台町教育委員会‐郷土調査資料集 第5集P. 2)


■反省会

今回脚立を持って行ったので、3.0mまでは届きました。

理想的には4.0mの梯子が二台あれば、

より正確で細かな測定が出来たと思います。


また今回、気の緩みか”グーグルの地図”しか持ってなかったので

進入口を間違えましたが、

初心に返り、今度からは地理院の地図を持って行くことにします。

どちらが正確か骨身に染みました。


データシート

■(仮)栃原(とちはら)橋梁の実測諸元は下記のとおりです。

    正径間 W=6.0m

    斜径間 a=6.4m(Wとθから計算)

    延長  L=5.6m

    桁下高 h=4.95m(水面より)

    斜架角 θ=69度(坑門角αを採用)

    起拱角 β=24度(上流側右岸実測値)

    高欄内側正径間 W=4.58m(南側高欄部にて計測)/おそらく設計は、15呎(4.57m)

    高欄内側斜径間 a=4.90m(南側高欄部にて計測)



図−β実測値と理論値の比較(クリックで拡大図

■坑門角α=斜架角θとした場合、

斜架角 θ=69度から求める起拱角βの理論値は14度です。

実測した起拱角=24°ですから必要以上に拗ってます。


■以上の調査データをまとめ、

データシートとしてPDFにしました。

⇒⇒No32 栃原橋梁 調査データ(PDF)
    (新しいウインドウが開きます)
    

■なお上記「調査ーデータ」を作成するにあたっては、下記の考えに従いました。

●ねじりまんぽの番号
 /No.31-穿屋川橋梁、No32-(仮)栃原(とちはら)橋梁は、「鉄道と煉瓦」表4-1”一覧表”(P117)に記載がないので続き番号としました。

●方向
 /東西南北の表示は主たる方向とした。

●経度緯度
 / 国土地理院地図-航空写真閲覧サービス より求めた。

●煉瓦形状
 /手作り煉瓦であるので寸法にバラツキがある。故に代表値。

●積み方/イギリス積み、オランダ積みの区分
 /コーナーの仕上げ形状により、イギリス積みとオランダ積みが区分されるので、
 /文献「鉄道と煉瓦」にならい、一般的に”イギリス積み”と表記。
 /ただし、コーナー部が”オランダ積み”と確認できたもののみ”オランダ積み”と表記。

●θβの左右区分
 /「鉄道と煉瓦」にならい、側壁に向かってアーチの煉瓦が右上がりの場合「右」 、左上がりの場合「左」 と表記。

●中心キロ程
 /不明
    
ねじりまんぽへのアクセスについて

■今回、ネット情報から厳しい条件とは理解していたのですが、

道を間違えたり、川へ降りるのに苦労したり。

アプローチには苦労しました。

また、ネット上ではこの橋梁の北東にある国道沿いの”茶畑”に駐車したり、

茶畑や材料置き場など”他人地”からのアプローチが多く記載されていますので、

ここではより多くの方が訪れられるよう、

公道を使ったアクセス方法を書いておきます。


姉橋/旧表記「(仮)栃原(とちはら)橋梁」/位置図



紀勢本線折原駅から川添神社の西側を北へ、
舗装道を進むと、濁川橋に到達します。
@
濁川橋方向から北を見た写真です。
アスファルトの道がありますが、
この道を倒木を越えながら登ると、
「材木店」の敷地に入ってしまいます。
(私たちも間違いました)

向かって右の無舗装の
草だらけの道を真っ直ぐ北へ進んで下さい。
ほぼ水平な道です。
国土地理院の地図にも載っており、
NTTの電話線も埋まっている「公道」です。
A
少し進むと視界が広がった場所に出ます
石材が放置されています。
車高の高い車だと走れるかも。

右の谷の対岸には石材置場が見え、
騒音が聞こえます。
B
そこを抜けると山裾の道を進みます。

この崖の上(左側)は、
先ほど述べた「材木店」です。
C程なく到着です。

煉瓦の高欄が目に入ってきます。
入り口からおおよそ350m
5分ほどです。
「ねじりまんぽ」へのアプローチは、
この写真の”左”に砕石が置いてあるので
その法尻から「ザサ原」を抜け
川に降りることが出来ます。
(下の航空写真参照)

D
「姉妹水」に行くには、(赤矢印)
そのまま砕石の裾を真っ直ぐ進みます。
この道と平行して
左側に川へ降りる道が有りますが、
椎茸栽培中で前に進めません。

たけちゃん模型を作る

■後日、たけちゃんが計測結果をCADで作図、

模型を作ったのでその写真を掲載します。

なお、製作にあったっては、下記条件で作成しています。

  @斜架角は胸位置での壁間測定値を採用。
      W= 4.65m a=5.03m θ=67.9°

  A側壁頂部の斜面は未測定のため推定値。

  B半径13フィート(3.962m)と推定。

  C天井のねじりまんぼのレンガは倍の大きさで作図。


画像(JPG/48kb/800×566)PDF(367kb)
新しいウインドゥが開きます
画像(JPG/33kb/800×566)PDF(254kb)
新しいウインドゥが開きます

■盟友”たけちゃん”のブログはこちら↓

  /三重のねじりまんぽ;現場報告栃原橋梁−1;模型作成栃原橋梁−2;作図と模型化


築造年のヒントになるかと上流へ

妹橋(いもうとばし)
旧表記「姉妹水」

■ねじりまんぽ(仮)栃原橋梁から、さらに北へ200m強、

倒木や雑草で荒れた旧熊野古道を進むと、

  「姉妹水/明治45年」

の扁額を掲げるコンクリート製暗渠があります。

熊野古道の橋梁の真下にあるのですが、謎の暗渠です。


これより北へは倒木が多く、

車高の高い車でも困難かと思います。


■2021.12.29正式名称が、

  「妹橋(いもうとばし)

と判明しました。(最上段「追加記事」参照)



熊野古道の橋梁 扁額
下流から全景
注意看板 NTT地下埋設管5条


妹橋(旧表記「姉妹水」)/位置図



栃原駅周辺散策

栃原駅北の濁川橋りょう

■元来た道を戻り、

 ねじりまんぽ(仮)栃原橋梁

に別れを告げ濁り橋北詰に戻ってきました。

車に戻ってふと見上げると青空に立派な鉄橋。

鉄ちゃんでなくとも魅入られる単線の橋梁です。

この路線は1923年(大正12年) 3月20日に開業。

コンクリートブロックを積み上げた頑強な橋脚です。


ついでに栃原駅も見学です。



神瀬橋

■次に向かったのは「神瀬橋」

ここは管理もしっかりされているようで、説明板や誘導標識もありました。

その表記によると、竣工は明治40年(1907年)。

煉瓦橋梁で迫石(せりいし)が有るのはめずらしく、

煉瓦を覗き込む、「五六」の刻印を見ることができます。


今から100年以上前に作られた煉瓦の橋は、

今なお車の荷重に耐えて

町道として現役で働いています。



扁額/神瀬橋
煉瓦の刻印
迫石(せりいし)が有る


■2022.1.8追記


「姉橋」の名称根拠について教えて頂いた

  くまの体験企画/内山裕紀子さん

からの情報では、

熊野古道伊勢路の「神瀬橋」は、

先に紹介しました、

「大台町ふるさと案内人の会」と

「神瀬の未来を語る会」の皆さんが

誘導標識などの管理を行い、

ウォークイベントなどで活用をされているそうです。



神瀬橋/位置図





INFORMATION

1.「ねじりまんぽ」とは
2.「ねじりまんぽ」を見に行こう
3.「ねじりまんぽ」の構造
4.「ねじりまんぽ」建設再現
5.番外偏
6.マスコミで紹介されました
7.「ねじりまんぽ」一覧表
8.参考文献/参考外部リンク

参考文献

1) 斜架拱(しゃかきょう)
/伊藤鏗太郎(イトウ コウタロウ)編訳/1899年(明治32年)

 我が国で初めて斜架拱”ねじりまんぽ”を単独で取り上げた書物と思われます。
 国立国会図書館・蔵書検索システム(外部リンク)で検索すると、原著のPDFデータを閲覧ダウンロードすることができます。


2) 鉄道と煉瓦−その歴史とデザイン

/著者;小野田 滋(おのだしげる)/鹿島出版会/2004発行

 煉瓦の歴史や組積方法鉄道構造物としてのデザイン等について記されています。
 全国45都道府県を調査した”足で書かれた論文”で、現在も購入可能です。


3) 阪神間 ・京阪間鉄道における煉瓦 ・石積み構造物とその特徴

/著者;小野田 滋/土木史研究 第20号/2000.5

 京阪神間の煉瓦 ・石積み構造物の特徴を捉え、現地調査結果をまとめています。(PDF/外部リンク

4) 組積造による斜めアーチ構造物の分布とその技法に関する研究
/著者;小野田 滋、河村清治、須貝清行、神野嘉希/土木史研究 第16号/1996.6

 「ねじりまんぽ」の分布や技法についてまとめた論文です。(PDF/外部リンク

5) 関西地方の鉄道における「斜架拱」の分布とその技法に関する研究」

/JR西日本 河村清治、小野田滋、木村哲夫、菊池保孝/土木史研究 第10号/1990.6

 JR西日本管内の「ねじりまんぽ」を本格的に調査し、まとめています。(PDF/外部リンク


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