KITAHATA URBAN DESIGN CORPORATION
ご近所紹介



木津川・流れ橋/上津屋橋


大阪府と京都府の中間点、本社のある大阪府高槻市や、
三島郡島本町、京都府大山崎町周辺の地味なご近所の情報です。

技術本部のある山崎は、
羽柴秀吉と明智光秀の天下分け目の戦いで有名な「天王山」がそびえ
桂川・木津川・宇治川の三川が合流して淀川が始まる「三川合流」地点があります。
休日や、現場へ行くついでに、写真を撮ったり色んな情報を集めます。

高槻市公式ホ−ムペ−ジ 島本障害者共働作業所 ご近所リンク集
おいしいお店 島本町公式ホ−ムペ−ジ ちょっとお出かけ

高槻市の天気予報島本町の天気予報



●流れ橋/木津川・上津屋橋
平成22年4月11日
時代劇で良く出てくる有名な橋です。洪水の時は流されることから「流れ橋」と言われ、正式には上津屋(こうづや)橋。久御山町と八幡市を結ぶ木製橋で、全長356.5m、巾員3.3m。流れ橋としては日本最長だそうです。
欄干のない歩行者専用橋で、増水時に水の抵抗を少なくするため、橋げたが浮いて流れるように設計されています。流れた時にはワイヤーで繋留されるようになっています。

この橋がなんと、平成21年秋の台風で、平成16年以来5年ぶりに流されてしまいました。昭和28年以来、56年間で17回目です。現在、かけ直し工事中で、今年の6月頃完成の予定です。
完成して防腐剤の匂いの消えた頃に、再び訪れることにしました。それまで、また流されないことを祈っています。この時の詳細は”ちょっとお出かけ”で公開中です。
平成15年1月8日
時代劇で良く出てくる有名な橋である。洪水の時は流されることから「流れ橋」と言われる。正式には上津屋(こうづや)橋。下手に飾った橋より、よほど美しい。近くの24号バイパスをよく通っている割りには見たことが無く、現場へ行った帰りに地図を頼りに寄ってみた。
全長は356.5メートル、幅3.3メートルで、欄干のない歩行者専用橋である。増水時に水の抵抗を少なくするため、橋げたが浮いて流れるように設計されており、流れた時にはワイヤーで繋留されるようになっている。昭和26年の架設以来現在まで15回も流されたそうである。平日だったが天気が良かったせいか、意外と人通りは多く。自転車やバイクも通っている。
平成15年1月8日撮影
宝積寺(宝寺)
一寸法師が淀川をさか上り京の都を目指す途中「山崎」で下船し、この宝寺で修行したという話や、秀吉が座った『出世石』な土で有名なお寺です。私の子供の頃の遊び場でもあります。

天王山の中腹にあり、通称は宝寺と言います。
 723年聖武帝がまだ太子の時、夢に龍神が現れ、打出と小槌を遣わされました。帝に即位後、行基菩薩に勅命によって、奈良の都より乾(北西)の方角となる天王山の中腹に伽藍を建立さえることとなり、打出と小槌を御神器をして奉納され、宝積寺、宝寺と称するようになったそうです。


宝積寺ホームページ

山崎聖天(観音寺)
紅葉
H14/11/29撮影

H17/4/9撮影
平安時代の宇多天皇の創建。本尊は十一面千手観音菩薩で、聖徳太子の作と伝えられています。江戸初期、木食以空(もくじきいくう)が、住友家、三井家、鴻池家らの援助で再興したので、歓喜天の信者が多く、本尊の観音菩薩より、山崎の聖天(しょうてん)さんとして有名になりました。境内の銅製の大灯籠は江戸時代中頃に住友家から寄進されました。
 夫婦和合、除災招福、商売繁盛のご利益が特に多いとのことで、天下の天皇、将軍、大名、豪商が、こぞってご利益をお願いするので、庶民がお願いする隙間がなかったと言われています。しかし、その後荒廃し、1864年(元治1年)蛤御門の変(元治の変)で一山灰燼に帰してしまいました。明治23年以降順次復興され、現在の姿になったといわれています。

春は桜、秋は紅葉が美しく竹林もみごとです。

<最寄り駅>JR京都線山崎駅・阪急大山崎駅から、徒歩約10分。

ちょっとお出かけ山崎聖天(観音寺)の秋でも詳しく紹介しています。

    
長岡天満宮 

キリシマツツジで全国的に有名。京都府長岡京市に位置し、菅原道真公をお祭りする天満宮である。境内には長岡京市が公園として整備した「八条が池」が広がり、湖畔にはタケノコ料理で有名な「錦水亭」が静かな水面に紅殻色の壁を映している。

観光のベストシ−ズンは4〜5月、つまりタケノコのおいしい時期である。特筆は「八条が池」中堤の樹齢百数十年と言われるキリシマツツジで、その見事さは我が国随一と言われており、ゴ−ルデンウイ−ク前半には明るく華やかな風景が楽しめる。近年遊歩道等の整備も進み、多種多様の花や池の鯉を眺めながらの散策も楽しめる。境内の売店では土産に「筍ご飯」等も販売されている。/長岡天満宮のキリシマツツジ長岡天満宮の梅

写真(撮影;H17/4/29)
 <最寄り駅>阪急京都線長岡天神から北へ、徒歩約15分

弊社が「設計・施工監理」を委託された「参道石玉垣設置工事」が平成13年10月に竣工しました。

長岡天満宮ホ−ムペ−ジ


島本町運動緑地公園

島本町の中央をほぼ南北に流れる水無瀬川の左岸、山崎地区のうち、旧西国街道(府道)と阪急京都線・新幹線と挟まれた地域に計画されています。

国土交通省や島本町の資料から、その概要をお知らせいたします。

詳細HPを準備しました。こちらをご覧下さい。

     

高槻市/神内遺跡
弊社本社の北側の地区は、区画整理を行うため、平成11年2月から文化財の調査が行われてきました。平成12年8月26日現地説明会が行われましたので、その概要を紹介します。

神内(こうない)は「神奈備(かむなび)の森」が語源で、この付近は、京の都から西国へ赴任する役人達が、肉親や友人と別れたところと言われています。
 今回の調査では、縄文時代の土器、弥生時代の竪穴式住居跡・方形周溝墓・木棺墓、奈良時代以降の井戸・大溝、室町時代の屋敷跡等、遺構・遺物がたくさん発見され、高槻市東部から島本町にかけて、弥生時代中期の大規模な集落が存在していることがはじめて確認されるなど、遺跡分布の希薄だった神内地区に古代・中世の大規模な集落が営まれていたことが明らかになりました。

説明会の時に写真を撮りましたので、古代の香りをご覧下さい。<神内遺跡写真集>

問合先/文化財課埋蔵文化財調査センター Tel 0726-94-7562

大阪水上隣保館

中村遥氏と妻八重子氏が創設。昭和初期、大阪港のはしけに住む水上生活者の子弟を預かり、通学させたのが始まりで、「水上」という名が付けられました。以来、戦後の不自由な時代に身よりのない子ども達も預かり、3,000人以上の子どもたちを育ててこられました。
 現在は、大阪府島本町に施設を移し、社会福祉法人「大阪水上隣保館」として発展、乳児院、山崎保育園、山崎幼稚園(私も通いました)、遥学園、藤の里保育園、キリスト教社会福祉専門学校、特別養護老人ホ−ム「弥栄の郷」を運営されています。

毎年春には「桜バザー」を開催。模擬店、展示即売会、作品展、ブラスバンド演奏などのイベントが盛りだくさんです。

〒618-0001大阪府三島郡島本町山崎5-3-1/TEL075-961-0041
サントリ−山崎工場の東側にあります。山崎周辺の地図

中村八重子氏は、1998年、朝日社会福祉賞を受賞され、朝日新聞に「日本のマザ−テレサ」として紹介されました。残念ながら、ママ先生は平成11年1月3日永眠されました。

    
サントリ−山崎蒸溜所

「日本のウイスキーのふるさと」山崎蒸溜所は、私の家のすぐ近所です。子どもの頃は樽の工場なんかも近くにあり、古い樽の中に頭を突っ込んで遊んでました。おかげで晩酌の欠かせない人間になってしまいました。サントリ−は会社として地元との友好関係に非常に気を使っており、毎年1回工場見学も出来る「感謝の集い」(今回の写真はその時(H11/8/28)の撮影です)なるモノが開かれます。
 おまけに、工場近くの民家には、水道管の蛇口が2つ余分に付いていて、1つは「生ビ−ル」もう一つは何と、「ウイスキ−」が出るようになっています・・・・???<冗談ですよ>。

工場見学は、年末年始・夏期休暇を除く毎日、ウイスキー製造工程の案内、ウイスキーの無料試飲などで、 1人からでも出来ますので電話(075-962-1423)で申し込んで下さい。色んなイベントもあります。休日には多くの人が顔を真っ赤にして、私の家の前を通り、ふらふらとJR山崎駅の方へ帰って行かれます。
工場見学の詳細交通アクセス山崎周辺の地図

(注意! 8月の末前後はオ−バ−ホ−ルのため工場は稼働していません。全部止まっていますのであまり面白くないです。この時期行かれる方はあらかじめ電話で様子を聞いてからにしましょう。)

関連ホームページ/ちょっとお出かけ・お酒関係
  2009 山崎蒸留所/工場見学
  2006 山崎蒸留所/クリスマスイルミネーション
  2005 山崎蒸溜所/クリスマスイルミネーション
  2005 京都伏見港と月桂冠大倉記念館
  2005 長岡ビール工場
  2005 山崎蒸留所/MALT&CINEMA
  2004 山崎蒸溜所/クリスマスイルミネーション
  2004 キリン/古代エジプトビール
  2003 山崎蒸留所・樽倉庫/パネル・ディスカッション
  2001 寿酒造/蔵開き
高槻の温泉
大阪にも立派な温泉がたくさんあります。中でも大地震の可能性があると言われる「有馬高槻構造線」沿いの高槻には、ちゃんとした温泉があるのです。
 まず、高槻市初の天然温泉「山水館」。摂津峡の奥にあり、15年前に掘られたアルカリ性単純泉。天然の奇岩を利用した岩風呂や、摂津峡を望める露天風呂(ちょっとした囲いがあるだけで、男女が分けられています。自然で良いです)が有名です。地元の集まりで良く行きますが、何回行っても気持ちの良いところです。「昼食とお風呂」の他、泊まりもできます。

次ぎに良く行くのが高槻のチベット「田能」にある「森林観光センタ−」の「高槻樫田温泉」。「センタ−」の「バ−ベキュ−レストラン」や「槻の郷荘」の座敷では、「炭火焼き肉」や「ボタン鍋」「やまくじら鍋」「地鶏のすき焼き」など、おいしい地のものがたくさんあります。一人2,000円以上の食事をすれば、入浴は無料です。帰りには、「せせらぎの里」(平成20年10月現在休館中)で「ニジマス釣り」も出来ます。
 その他にも、下記のような施設があります。
(内容が変わっている場合もありますので、事前に各施設にご確認下さい)

露天風呂・美人湯
花の里温泉 山水館
●場所/高槻市大字原3−2−2/tel=0726-87-4567
送迎バス有り/年中無休/P=60台
アルカリ性単純泉/効能=神経痛、筋肉痛、五十肩、
 別名「美人湯」と言われる
お勧めコ−ス/昼食11時〜15時「花の里弁当」3,000円、「ミニ会席」5,000円
オフィシャルホ−ムペ−ジ

露天風呂・美人湯
花の里温泉 弐号泉
祥風苑
●場所/高槻市塚脇4丁目-20-3/電話 072-689-6700
送迎シャトルバス有り/年中無休/P=100台
アルカリ性純重曹泉/地下1350mから自噴/42度もある高温温泉
 /効能=療養泉温泉水1Kgあたり1000mg以上の溶存物質を含むと療養泉に合格
 皮膚に関する切傷、やけど、慢性皮膚病や神経痛、リュウマチ、慢性消化器病、冷え性
 飲泉効能=痛風、糖尿病、じんましん
お勧めコ−ス/平日・大人・800円(会員700円)休日・大人・900円(会員800円)/回数券有り
オフィシャルホ−ムペ−ジ

天然温泉・美肌効果
高槻樫田温泉
●場所/高槻市大字田能小字的谷 2/tel=0726-88-9400
●送迎バス有り/定休日=火曜/P=150台
●冷鉱泉弱アルカリ性/効能=神経痛、筋肉痛、美肌作用
●お勧めコ−ス/ポンポン山ハイキング帰りに入浴のみで
 =大人700円、子供500円、幼児 250円(タオルなし)、 温泉11時〜21時
●「地鶏すき焼きセット」 3,500円、「やまくじら鍋セット」 4,000円 
森林観光センターホームページ

蒸し風呂・腰痛
観音蒸し風呂
●場所/高槻市黄金の里1-40-1/tel=0726-88-0404
要予約/年中無休/P=8台
効能/腰痛、神経痛、そのた万病にきく
勧めコ−ス/「地鶏の水炊き」 6,000円
 日帰り11時〜15時、宿泊16時〜翌10時

酵素温浴・疲労回復
高槻イオンハウス
●場所/高槻市裏堂本町2-5/tel=0726-88-1241、0120-1241-64
定休日=金曜/P=15台
ひのきのオガクズと酵素の自然発酵熱
 効能=疲労回復、アトピ−、腰痛、神経痛、冷え性、
お勧めコ−ス/酵素美容フェイシャリェステティック(要予約)
 「ヘルシ−うどん」 800円、「ヘルシ−定食」 1,500円
フィシャルホ−ムペ−ジ

鵜殿の葦原焼き
左下に白く見えるのは、消防団員です。 
(撮影;H11/2/14)

平成16年は3月14日(日)に鵜殿のヨシ原焼きがありました。
2月29日の予定でしたが、悪天候のため延期されたのです。
以前は午後からだっったのですが、
  「葦焼き、見に行ってくるわァ〜」
と父の声は午前10時。
  ”えらいはよ行くんやなァ〜”
と思いつつ外を見ると黒い煙が・・・・。
 仕事もせなあかんと思いながら、つい体が動いてしまい、気づいた時には、デジカメを持って息子の自転車をこいでいました。
  ”今始まった頃ならちょうどええわァ!”
ところが後輪の空気が少ないらしく、家を出て直ぐ、がたがたと音がし出しました。
横町の角を曲がると、知人宅の前で父はまだ油を売ってます。
どうやらそこのおっちゃんと一緒に見に行くことになったらしいです。
 で、ここで”空気入れ”を貸してもらい、後輪に空気を入れます。
徒歩の父達を途中で追い越して、淀川の堤防に出ると鵜殿の方ではもうもうと黒い煙いが上がっています。
 しかし、どうやら9時からやっていたようで、行けども行けども勇壮な紅い炎は見えません。
今回は、焼け野原しか目にすることは出来ませんでした。/H17/2/27の葦焼き

 この行事は、淀川の自然、文化、伝統を守り、良質の葦の生産、害虫の駆除、不慮の火災の防止などを目的に、毎年この時期に行われています。
 規模(38ヘクタ−ル)と言い、肌に感じる熱気と言い、若草山の山焼きに負けないくらいの行事です。いや、昼間と言うことを考えると、勝ってます。
 淀川右岸(高槻側)の堤防に出ると綺麗に見ることが出来ます。枚方の方からも見えます。黒い煙だけなら高槻市内からも見えますし、鵜殿から1キロほど離れた弊社の4階(以前の上牧本社)からでも立ち上がる炎を見ることが出来ました。
平成10年は残念ながら天気が悪く中止でしたが、平成11・12年は2月第2日曜日の午後1時から行われました。

最下欄の「炎の〜」等をクリックして、迫力ある写真をご覧下さい。
<最寄り駅>阪急京都線上牧駅。(弊社まで、徒歩10歩)駅からは徒歩10分〜15分ほどで、淀川堤防に着きます。
<市営バス>JR高槻駅南又は阪急高槻市駅北側タ−ミナルから「鵜殿町」行きに乗車、終点下車。
<車>近くまでは行けますが、堤防は通行規制されます。「関電淀川変電所」周辺は比較的駐車しやすいと思います。
<問合先>高槻市役所公園緑政室  TEL:674−7512/E-Mail kouen@city.takatsuki.osaka.jp

ちょっと出遅れました。(撮影H16/3/14)消防車菜の花
写真(撮影;H11/2/14);炎の河原鉄塔に迫る−1鉄塔に迫る−2
普段の葦原(撮影;H10/3/8)燃えてない葦原
若山神社
正月は初詣に、春は桜の名所として穴場的存在です。でも、神社の境内ですから「焼き肉」や「バ−ベキュウ−」等、火を使うことはできません。眺望も抜群で、淀川三川合流地点から八幡市にかけての遠景を楽しむことができます。宮司さんによると、現在積極的に紅葉を植えておられるとか。今でも結構きれいですが今後秋の紅葉も名物になりそうです。

私が中学生の頃まで、上流の尺代村まで行く山沿いの道の出発点に、小川があって、おいしい水を飲んでから歩き出しましたが、今はゴルフ場が出来、小川も流路工に整備されてしまいました。
(写真撮影;H10/11/29)
若山神社の紅葉
大きな写真もあります
淀川三川合流地点と天王山
写真左に、羽柴秀吉と明智光秀の天下分け目の戦いで有名な「天王山」がそびえ、右にはエジソンが竹で電球をつくったと言われる八幡市、男山が見えます。

ここが、桂川・木津川・宇治川の三川が合流して淀川が始まる「三川合流」地点です。河川敷は右岸側(写真左、島本側)が公園として整備され、スポ−ツやレクレ−ションを通じ住民に親しまれています。私も「たこ揚げ大会や」「ペットボトルロケットの発射実験」をここでしました。
地 蔵 盆
どの辺の行事かはっきりは知りませんが、京都・大阪では行われています。8月の23・24の両日、路地などにある「お地蔵さん」をお祭りするものです。子どもの好きそうな「お供え物」を供え、提灯を飾り、数珠繰りなどをして、子ども達は一日中お地蔵さんの有る路地の周りで遊びます。

この2日間は朝から晩まで、子ども達の天国となります。年上の子と年下の子が一緒に遊ぶ姿は昔はよく見られた風景ですが、最近ではこの日にしか見られません。最終日にはお供え物を分け、お賽銭は子ども達の小遣いとなります。お正月以外に現金が手に入るので、私も子どもの頃は小遣いが一番の楽しみでした。

写真1/準備できれいに洗った「お地蔵さん」 写真2/数珠繰りの風景

芥川桜堤公園

 
芥川が高槻市の市街地にさしかかってほぼまん中、JRの西口から歩いても10分ほどのところにあります。
 毎年5月の連休を中心に、「鯉のぼりフェスタ1000」が開かれます。弊社も、大阪府茨木土木(事)の仕事で、この公園の下流の整備工事のための測量をさせてもらいました。
 今年は、4月26日〜5月9日まで1000匹の鯉が色鮮やかに泳ぎます。写真を撮った日は、イベントの前の平日でしたが、母子連れが多く、川遊びを楽しんでいました。

帰り際、自転車の後ろに乗った子供がお母さんに 
 「ここおもしろい、またきたいな」
と言ってるのが聞こえ、ほっとしました。皆さんも是非遊びに行かれてはどうでしょう。
水面が光るくらい小魚もいっぱいいます。また、準備をしている市下水道部の皆様ご苦労様です。縁の下の力持ち感謝します。

おしらせこの公園の少し下流、JRと阪急京都線の間で、平成10年7月5日
     第11回子ども「魚釣り」と「つかみ取り」大会
が行われました。

はにわ公園

高槻市上土室にある公園です。「登り窯」や古代の遺跡が再現してあって、子供達の遊び場になっています。近くにはマクドナルドの入っているピ−コックもあり、休日ともなると、お父さんやお母さんが、子供達を連れてハンバ−ガ−を食べている光景に出会えます。

この公園に隣接して、「中の池」「新池」がありヘラブナ釣りのメッカになっています。もちろん鯉や、バスもいますので、子供達はバス釣り、おじさん達はヘラブナ釣り、ちょっと変わった人たちは鯉釣りを楽しんでいます。
(注意;公園内からの釣りは禁止されています。公園の外で釣って下さい。)

子供達の釣りのマナ−が悪いので、へら釣りのおじさん達が「釣り禁止」にならないよう掃除をしたり、へらを放流したりしています。釣りをする人は、くれぐれも自然を大切にしましょう。

背割り堤 京都府八幡市

島本町、大山崎町の対岸にある八幡市に属します。宇治川と木津川に挟まれた堤防のことです。ここから淀川が始まります。

毎年、4月はじめには「桜祭り」が催され、土日は、「かわきた自然運動公園」が臨時に駐車場となるので、遠くからたくさんの人が、車や自転車、徒歩やバイクで花見にやってきます。

平成19年4月10日
 最近使ってない”ママチャリ”のタイヤの空気が、ダイエット中の体重に絶えられるか心配しながら、30分弱で背割り堤に到着。チョット朝靄で、太陽の位置ももう少し南だと良かったんだけど、まずまずの撮影条件。

 ぱらぱらと、私のようにカメラをぶら下げた人がいるだけで、花見客は未だゼロ!!延々1.5kmほどある2列の桜並木は、絶好の花見ポイントです。

平成10年4月4日
 弊社の平成10年度の花見はここで行いました。写真(撮影;H10/4/4)
   
離宮八幡宮
平成22年4月3日
離宮八幡宮の創建1150年祭の一環として、離宮八幡宮の分御霊をお祀りする松山朝日八幡神社(愛媛県)より500人の男衆がやってきて、地域の繁栄を願い神輿同士を激しくぶつけ合うお祭り、
   けんか神輿
を奉納しました。この時の詳細は”ちょっとお出かけ”で公開中です。

平成10年3月8日
大山崎神人は石清水八幡宮の船(淀川を遡上する)のお綱引きと同時に、内殿の灯油の責任を負っていた。
このことが後に大山崎油座という、数ある「座」の中でもとりわけ強力な特権と広範囲な商圏を手にする元となった。

今でも、国内の有名油会社多数のお供えがしてある。
「国盗り物語」の中では斉藤道三がこの一員であったとされ、今でも訪れる観光客は多い。

写真(撮影;H10/3/8)をクリックすると大きな写真が出ます。

ホ−ムペ−ジも平成12年4月に開設されました。
<最寄り駅>JR京都線山崎駅から徒歩1〜2分・阪急大山崎駅から徒歩3〜4分。

   
大山崎山荘

H17-04-09撮影
弊社の近所で人気のスポットと言えばに天王山山麓の「大山崎山荘」。土日ともなると、観光バスがやってくるほどの人気です。当初年間3万人を予定したところ、若い人にも人気があり、毎年10万人以上の入場だそうです。
  関西の実業家加賀正太郎は、若くしてイギリスに遊学し、日本人として初めてヨーロッパアルプスに登はんしたり、洋蘭に関心を寄せるなど、趣味人としての素養にも磨きをかけて帰国しました。
 大山崎山荘は、その加賀が自らの設計により建てた英国風の洋館で、夏目漱石をはじめ各界の名士を招き、華やかなサロンの雰囲気を形成していました。

96年春、アサヒビー ルが山荘を修復し、その活用をはかるため、安藤忠雄氏設計による 新館「地中の宝石箱」を併設して美術館を開設しました。本館には、アサヒビール初代社長の山本爲三郎が収集した陶芸を中心としたコレクシ ョンを展示、新館の印象派の名品とともに公開されています。
  自然と山荘・庭園が一体となった美とやすら ぎの空間で、大正ロマン漂う美術鑑賞のひとときを心ゆくまでお楽 しみ下さい。 

<最寄り駅>JR京都線山崎駅・阪急大山崎駅から徒歩10〜20分。
<地図や詳細>
こちら

従是東山城國

摂津の国と山城の国の國境に関しては、水無瀬川とする説と、現在の京都府と大阪府の境界
とする説があります。
 特に問題なのは、「山崎」を何処までと考えるかです。私が子供の頃は、「山崎」の範囲は、だいぶ狭くなっていましたが、それでも西国街道沿いに水無瀬橋までは、「山崎」でした。地番もそのようになっていたようです。また、椎尾神社の御輿も水無瀬橋まで行き、そこからUタ−ンしました。

この写真に示す石碑は、西国街道沿いにある関大明神の東側に有ります。現在の京都府と大阪府の境界をなす幅1mくらいの水路の京都側です。石碑の後ろは民家の黒い板塀で、春には霧島の赤がとても鮮やかです。
写真(撮影;H10/2/11)をクリックすると大きな写真が出ます。
<最寄り駅>JR京都線山崎駅・徒歩2〜3分。阪急大山崎駅から5分

関大明神

上の写真に示す石碑の西側、西国街道沿いに有ります。現在の京都府と大阪府の境界をなす幅1mくらいの水路の大阪側です。この場所は、昔の「山崎の関跡」と言われており、関守神又は辻神を祭ったのが起こりと考えられています。非常時には、朝廷が兵を派遣するほどの交通の要でしたが、平安時代の始めに関所が廃止され、跡に関戸院という施設がおかれました。藤原氏や平氏などの貴族や官人の宿泊に利用されていたようです。現在の本殿は、室町時代中頃の建築です。祭神は、大己貴命(オオナムチノミコト)天児屋根命(アメノコヤネノミコト)大智明神(ダイチミョウジン)です。

大阪府指定有形文化財毎年5月5日はお祭りです。
写真(撮影;H10/2/11)をクリックすると大きな写真が出ます。
<最寄り駅>JR京都線山崎駅・徒歩2〜3分。阪急大山崎駅から5分

宗鑑屋敷・宗鑑井

島本町山崎字宗鑑、島本町の東の端です。と言うことは、大阪府の東の端です。ここには、歌人・山崎宗鑑(〜1540)の「宗鑑井」と伝えられる井戸があり、以前は、清水がこんこんと湧きだしていました。周辺は、広場になっていて、付近の人たちが水を汲みに来ていたそうです。
そのため、辺り一帯は「宗鑑やしき」と呼ばれていました。

森村氏は元禄時代から当地に居住し、写真の「森村邸」は明治32年にその分家によって「宗鑑井」を邸内に取り入れ建てられました。

山崎周辺でも、森村邸の様に格子のある古い建物は、残り少なくなりました。
 上の写真1(撮影;H10/1/31)をクリックすると大きな写真が出ます。
<最寄り駅>JR京都線山崎駅・徒歩5〜10分。阪急大山崎駅から10分
       写真1(撮影;H10/1/31)/写真2(撮影;H10/2/11)

石上家住宅
森村邸から西国街道を西へ少し行ったところに「石上家住宅」があります。このあたりは、大山崎離宮八幡宮に奉仕する社家町のひとつ、倉内保に相当し石上家住宅は典型的な町家として残っています。
 今は、医院をされていますが、街道に面して土塀が続き、中央に表門(写真)が残っています。以前はありませんでしたが、今はこの表門に芭蕉の句碑が建っています。門内奥に主屋が建ち、土蔵もあります。「石上家住宅」は、主屋が街道より奥に後退しており、庭を造る余裕がありますが、一般の町屋は、京都ほど間口が制約はされてませんが、前述の「森村邸」の様に、主屋が街道に接しているため、座敷の外仕切を格子や出格子につくっています。この様な町屋は、山崎の西国街道沿いには、この周辺にしか残っていません。

写真(撮影;H10/1/31)をクリックすると大きな写真が出ます。
<最寄り駅>JR京都線山崎駅・徒歩5〜10分。阪急大山崎駅から10分


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