智積院/大師堂、密厳堂 |
■5月1日から京都「春季非公開文化財特別公開」が開催されていました。
特別拝観券が4枚手に入ったので、智積院と南禅院を拝観してきました。
日頃は絶対に見ることの出来ない文化財だけに、
拝観者も途切れなく訪れていました。
また、両寺院とも”京女”の学生さん達が、受付から案内・説明まで行ってくれました。
我々の質問にも丁寧に、かつ明瞭に答えてくれました。
残念ながらお堂の中は撮影禁止でしたので、外回りだけ撮ってきました。
境内には智山派の紋章である”桔梗”が沢山植えられていましたので、六〜七月頃に行くと綺麗かも。
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金堂/大日如来の尊像が安置 |
金堂/灯籠にも桔梗の紋 |
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大師堂/弘法大師空海のご尊像を安置 |
大師堂の額
「遍照金剛」は弘法大師の灌頂名(かんじょうめい) |
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密厳堂/興教大師覚鑁のご尊像を安置 |
運敞僧正自筆の「密厳堂」の額 |
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お釈迦様の足あと |
金堂/桔梗の彫刻 |
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南禅院 |
■智積院からバスに乗って東山三条へ。
三条通りを東へしばらく歩き、南禅寺道から南禅寺へ。
さらに、その奥に南禅院が有ります。
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南禅寺道/道の真ん中に門が・・ |
途中には高級料亭 |
ここも車が通ります |
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■南禅寺から南禅院へ行く参道石畳には、
仏教の教えである万物を形成する五元素のシンボルが彫刻がされています。
これらの形は、五輪塔にも見ることが出来ます。
この彫刻の上を進むと”赤レンガ作り”の水路閣があります。
水路閣をくぐり、階段を登ると南禅院です。
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地輪/堅性 |
水輪/湿性 |
火輪/煖性 |
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風輪/動性 |
空輪/円性 |
水路閣 |
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■学生さんの説明によると、
南禅院は、応仁の乱以後は荒廃していましたが、
徳川綱吉の母”桂昌院”の寄進によって再建されました。
開山された”亀山法皇”の”御木像”が安置されています。
その側には桂昌院の像もありました。
庭園は鎌倉時代末の代表的池泉回遊式で
亀山法皇の作とも言われています。
下池には心字島が設けられ、築庭当初には、
吉野の桜、難波の葦、竜田の楓等が移植され、
井手の蛙も放たれたそうです。
もう、蛙の声も聞こえていました。
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池泉回遊式庭園 |
庭の門 |
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水路閣 |
■南禅院の目の前、南禅寺の境内を突き抜けるように、
レンガ造りの”水路閣”が有ります。
琵琶湖の水を京都に通すための水路橋です。
”琵琶湖疎水”は、日本人のみによる初めての大土木事業で、
琵琶湖の水を京都に引き、上水・発電・水運・灌漑用水等に利用されました。
さらにその電気を使って日本初の市電が京都を走ることになります。
”水路閣”は、この一大プロジェクトの指揮を執った土木技術者、
”田邊朔朗”氏の代表的な土木構造物の一つです。
15歳で工部大学校(現東京大工学部)へ入学した田邊朔郎氏は、
独自の調査で、琵琶湖疏水計画を卒業論文にまとめ、主席で卒業しました。
これが契機になって京都府御用掛に採用され、
23歳で琵琶湖疏水事業の主任に任命されたのです。
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今も琵琶湖の水が流れています |
水路閣 |
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記念写真ポイント |
南禅寺法堂(はっとう) |
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インクライン |
■帰り道、偶然通りかかった”琵琶湖疎水記念館”に寄りました。
当初は、人力で船を引っ張り上げたようですが、
世界で二番目の水力発電所”蹴上発電所”の完成によって、
電気を利用するようになりました。
船を台車に乗せ、鴨川から約36メートル、勾配約1/15の落差を
インクライン(傾斜鉄道)で蹴上まで登り、
トンネルをくぐりながら、琵琶湖まで運んだそうです。(第一疏水)
田邊朔郎のノートには
IT IS NOT HOW MUCH I DID,BUT HOW WELL DO.
(どれだけ頑張ってきたかではなく、これからどれだけのことをやれるか、それが大切である。)
という恩師ヘンリー・ダイアーの言葉が書かれていたそうです。
明治23年(1890)4月、晴れの通水式を迎えた田辺朔郎は
未だ、28才の青年でした。
田辺朔郎の銅像を探しましたが、何処にあるのか解りませんでした。
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琵琶湖疎水記念館 |
インクライン |
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