TOPうんちく今、土木が熱い!土木見学土木見学リストねじりまんぼ>No15-旧東川橋梁

KITAHATA URBAN DESIGN CORPORATION

旧東川橋梁

北側坑門より南方を望む
滋賀県大津市逢 (付近)/旧東海道本線
平成26年5月3日撮影


大津市内の”ねじりまんぽ”

■5月3日、朝9時に大津の駅で”たけちゃん”と待ち合わせ。

本日のミッションは大津市内の3箇所の”ねじりまんぽ”の探検です。

打ち合わせはしませんでしたが、二人とももちろん長靴持参。


 大津駅で二台しかない”レンタサイクル”を全部借りて出発。

一箇所目では2m程の高さの河川護岸を登らなければ外に出られないハメに・・・。

昔なら一人でエイ!ヤアッ!で上れた高さですが、

今は二人で助け合いながらやっとの事で上に這い上がりました。


 二箇所目では今度は降りれるところを探すのに一苦労。

三箇所目では現場に着いてからコンベックスを自転車に忘れたことに気づくしまつ。

筋肉痛にはなりましたが、楽しい半日でした。


■なお、ねじりまんぽのページは”たけちゃん”と協力して作っていますので、

   写真、図表、データシート(PDF)添付資料

等々、たけちゃん作成の資料を用いています。

 また、この日以降も”たけちゃん”が毎週のように調査を続けていますので、

その結果を踏まえて書いています。



旧東川橋梁

図1−文献5)の図9に加筆
■まず向かったのは大津駅に近い旧東川橋梁

この橋梁は、廃線になった旧東海道線にあります。

既に”たけちゃん”が数回調査していますが、

色々と謎が多いので、今回は形状寸法の確認が主です。


■まんぽの延長が地図と会わない

また、事前に彼が測ったまんぽの延長と

地図上の延長がどうしても合いません。

θ(斜架角)を推定する上でも平面的な位置は重要ですので、

現地で確認です。


■斜架角と起拱角が理論的で無い

 文献2)ではθ(斜架角)が75°と記されており、

これが正しいとすると、β(起拱角)の理論値は10°となるはず・・・。

ところが、ネットで公開されているどの写真を見ても

もっと大きな角度に見えるのです。

さらに、文献4)、5)に示されるグラフ(図◯印)からは、斜架角が75°起拱角29°と読めます。



北側坑門付近/河床も煉瓦張り
北側坑門付近の様子

立上り角β(起拱角)≒右29°(実測)

南側坑門跡
北坑門付近より南を望む

南部、一部漏水有り
その後のたけちゃんの調査で
”継ぎ目”と断定
南側現坑門/コンクリート 旧東海道本線橋台跡/手前は京阪電車

データシート

図2−断面概要図

図3−平面概要図

図4−β実測値と理論値の比較(クリックで拡大図)

■当初、近くにありすぎてあまり注目もしていなかった「旧東山橋梁」

近くには、旧線の橋台やトンネル(旧逢坂山トンネル)が残っています。

要はヒントはたくさん有るが、謎が多いねじりまんぽなのです。

調査結果の結論は次のとおりです。


■まんぽの位置

ネット上の地図が間違っていました。

航測の写真は南側坑門を正しく示しているのですが、

地図の方は違う位置になっていたのです。


■斜架角と起拱角

β(起拱角)は現地で測定すると、平均で約29°でした。

これは、文献4)のグラフと一致します。

これに対してθ(斜架角)は既に廃線となっているので推定するしか有りません。

古い地図に今回の結果を載せたり、航測写真から計ったり、

様々な検討の結果、

コンクリート部と煉瓦部の接合部の形状、

   正径間 W=2.77m

   斜径間 a=3.55m

から計算して、

   斜架角 θ=坑門角 α=51° (sinα=W/a)

と推定しました。


θ=51°からβ(起拱角)の理論値を求めると

   起拱角β=27°(tanβ=2/(π・tanθ)より)

実測値の29°に近い値となります。

(参考/β=29°から逆算すると、θ=49°)


後日、現地調査と文献5)から

明治期に2回に分けて施工されたのではとの推定に基づき、

接続推定位置(平面図・接続位置)で測定した結果は、

  斜径間 a≒3.7m

(接続が凸凹の噛み合わせなので測定ポイントは目分量)

でしたので、

  斜架角 θ=48°

測定の精度が低いので大差は無いと判断されます。


これらのことから、斜架角 θは概ね50°前後と推定できます。

データシートでは、斜架角 θは測定が正確な51°を採用しました。


■結論

1. 文献2)ではθ(斜架角)が75°と記されていますが、

  β(起拱角)の実測値29°や周辺の遺構調査の結果から、

  θは51°前後ではないかと推定されます。

2.θ(斜架角)を51°前後と考えると、

  θとβ(起拱角)との関係は、理論値にほぼ合致します。

  (図4 理論値青丸、実測値赤丸)

3.次の逢坂山隧道で述べるように、明治31年(1898)に複線化工事がされていることと、

  接続痕跡が確認出来たことから、

  ねじりまんぽの内、北側約16mは開業の明治13年(1880)、

  南側約7mは明治31年(1898)に供用されたと推定されます。


以上の調査データをまとめ、データシートとしてPDFにしました。

  ⇒⇒No51 旧東山橋梁 調査データ(PDF)
     (添付の「資料1」はたけちゃんの作成です)


■なお上記「調査ーデータ」を作成するにあたっては、下記の考えに従いました。

●ねじりまんぽの番号
 /「鉄道と煉瓦」表4-1”一覧表”(P117)における番号を採用。

●方向
 /東西南北の表示は主たる方向とした。

●経度緯度
 / Google Earth より求めた。

●煉瓦形状
 /手作り煉瓦であるので寸法にバラツキがある。故に代表値。

●積み方/イギリス積み、オランダ積みの区分
 /コーナーの仕上げ形状により、イギリス積みとオランダ積みが区分されるので、
 /文献「鉄道と煉瓦」にならい、一般的に”イギリス積み”と表記。
 /ただし、コーナー部が”オランダ積み”と確認できたもののみ”オランダ積み”と表記。

●θβの左右区分
 /「鉄道と煉瓦」にならい、側壁に向かってアーチの煉瓦が右上がりの場合「右」 、左上がりの場合「左」 と表記。

●中心キロ程
 /現行距離程による。(開業時とは異なる)


位置図






逢坂山隧道


■ねじりまんぽを通り抜け、河川を200m弱遡ると「念仏寺」が有ります。

護岸をよじ登ると、京阪電車「念仏寺踏切」があり、

さらに国道を横切ると逢坂山隧道跡にたどり着きます。


旧東海道本線逢坂山隧道は、

明治11年10月東口から掘削を始め、

約1年8ヶ月の歳月を費して明治13年6月28日に竣工しました。


さらに、二本目のトンネルは複線になったときのもので、

明治31年建設です。


2本のトンネルは、大正10年8月1日線路変更により廃線となるまで、

東海道本線の下り線として使用されていました。


■全長は664.8m。

逢坂山隧道は、日本人技術者が外国技術の援助を得ずに設計施工した

我が国最初の山岳隧道です。

坑門上部の扁額は、「落成」ではなく「楽成」となっています。

落盤に通じる「落」の文字を避けたからだと言われています。

竣工を記念して時の太政大臣・三條実美の筆になるものです。



旧東海道本線逢坂山隧道(東口)跡

旧東海道本線逢坂山隧道(東口)跡

逢坂山隧道扁額/楽成頼功
説明書き


位置図






INFORMATION

1.「ねじりまんぽ」とは
2.「ねじりまんぽ」を見に行こう
3.「ねじりまんぽ」の構造
4.「ねじりまんぽ」建設再現
5.番外偏
6.マスコミで紹介されました
7.「ねじりまんぽ」一覧表
8.参考文献/参考外部リンク



参考文献

1) 斜架拱(しゃかきょう)
/伊藤鏗太郎(イトウ コウタロウ)編訳/1899年(明治32年)

 我が国で初めて斜架拱”ねじりまんぽ”を単独で取り上げた書物と思われます。
 国立国会図書館・蔵書検索システム(外部リンク)で検索すると、原著のPDFデータを閲覧ダウンロードすることができます。


2) 鉄道と煉瓦−その歴史とデザイン

/著者;小野田 滋(おのだしげる)/鹿島出版会/2004発行

 煉瓦の歴史や組積方法鉄道構造物としてのデザイン等について記されています。
 全国45都道府県を調査した”足で書かれた論文”で、現在も購入可能です。


3) 阪神間 ・京阪間鉄道における煉瓦 ・石積み構造物とその特徴

/著者;小野田 滋/土木史研究 第20号/2000.5

 京阪神間の煉瓦 ・石積み構造物の特徴を捉え、現地調査結果をまとめています。(PDF/外部リンク

4) 組積造による斜めアーチ構造物の分布とその技法に関する研究
/著者;小野田 滋、河村清治、須貝清行、神野嘉希/土木史研究 第16号/1996.6

 「ねじりまんぽ」の分布や技法についてまとめた論文です。(PDF/外部リンク

5) 関西地方の鉄道における「斜架拱」の分布とその技法に関する研究」

/JR西日本 河村清治、小野田滋、木村哲夫、菊池保孝/土木史研究 第10号/1990.6

 JR西日本管内の「ねじりまんぽ」を本格的に調査し、まとめています。(PDF/外部リンク


TOPうんちく今、土木が熱い!土木見学土木見学リストねじりまんぼ>No15-旧東側橋梁


ホ−ムペ−ジへ戻る