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KITAHATA URBAN DESIGN CORPORATION

東皿池橋梁

JR神戸線/西宮市

東皿池橋梁(南側・郷免町)/兵庫県西宮市郷免町〜大谷町
東海道本線(JR神戸線)
平成23年6月9日撮影

▼前へ(No25-安井橋梁)/ねじりまんぽ・本文/(No.29欅坂橋梁)次へ▲

現存する我が国最古のねじりまんぽ
東皿池橋梁
北側入口/大谷町
南側入口右上の記載
シールが剥がれた側壁の様子





コーティング・シールが剥がれ
その下に明治の煉瓦が見えます
北側から南側を望む
シールが剥がれた天井の様子


■西宮市にも「ねじりまんぽ」が有ると聞き

事前に調べておいて、ちょいと覗いてきました。

噂には聞いていましたが・・・・・


現存する我が国最古のねじりまんぽ

     東皿池橋梁

は、煉瓦模様のコーティングシートで

すっぽり覆われてしまっていました。

推定するに、おそらく次のような事情ではないでしょうか。


■明治7年(1874)5月11日

東海道本線(JR神戸線)神戸〜大阪間が開業しました。

インクライン完成(1888)の14年前、

東海道本線大阪〜向日町間完成(1976)の2年前です。


    安井橋梁、東皿池橋梁、木杣上谷橋梁

三箇所のねじりまんぽが設置されました。

おそらく、これが我が国最初の「ねじりまんぽ」と考えられます。


東皿池橋梁、が設置された道は、

ねじりまんぽを建設するくらいなので、

古くから、住民の重要な生活道路であった事が予想されます。

大正時代の地理院の地図を見ると、山手に「鉄道官舎」があり、

道がほぼ真っ直ぐ南に向けて海まで続いていたことがわかります。

今もその位置はほとんど変わりがありません。


■昭和4年

ただ、このマンポは高さが低かったのでしょう。

そこで、昭和4年に掘り下げ工事が行われたと思われます。

そして尽力した人達を讃える

「頌徳碑(しょうとくひ)」が建立されました。

碑には「交通安全道建設者」と有りますので、

線路上を横切る人が絶えなかったのかも知れません。


■平成5年(1993)

     木杣上谷橋梁/撤去

 平成18〜19年(2006・7)

     安井橋梁/さくら夙川駅開業(平成19年)に伴い
     撤去または埋立

こうして、我が国最古のねじりまんぽ3基の内2基は、

現在見ることができません。


そして残った東皿池橋梁も

おそらく近年水が漏ったりしたのでしょう、

残念ながら、煉瓦模様のコーティングシートで

すっぽり覆われてしまったのです。



北側入り口(西宮市大谷町側) 頌徳碑(しょうとくひ)
昭和4年3月18日建立


■平成26年6月13日 再調査

西宮の県事務所で打ち合わせの後、

JRの線路沿いに西へ歩きました。

”たけちゃん”が、ねじりまんぽ以外の煉瓦構造物も調べだしたので、

その参考にと下調べです。

メインは”さくら夙川”の無くなったしまったねじりまんぽの痕跡を探すことと、

さらに芦屋よりにある”現存する最古のねじりまんぽ”の採寸をすることです。

西宮から芦屋まで、ルート距離で4.5kmほど、

実際に歩いた距離はたぶん5km程。

マンホールやまんぽの写真を撮りながら歩きました。

梅雨の合間、暑くも寒くも無い良いお天気でした。


■”現存する最古のねじりまんぽ”の採寸

”JRさくら夙川駅”から国道二号線を歩いて約1.2km。

前回は数字的なものを押さえてなかったので一人測定。

狭い上に人通り(自転車も)が多いので、何度も中断です。


実測の結果は次の通りです。

   全  長 L≒26m (ねじり部を含む現全長/ネット上の地図より)

   正径間 W=1.52m(5.0ft)

   斜径間  a=1.59m

   斜架角 θ=73°(=坑門角とした)

   起拱角 β≒18°(実測値)

現存する大部分の煉瓦橋の構成がフィート単位あることから、

正径間 W=5.0フィート で設計されたと考えられます。


■側壁の被覆されていない箇所では

石積み4段が確認出来ます。

側壁石積みの一部、及び最上段の多数に

   ビシャン仕上げ

が用いられているのは特徴的です。

文献3)には、安井橋梁、木杣上谷橋梁、東皿池橋梁で

ビシャン仕上げが確認出来るとあり、

文献5)にはそれらしき写真が掲載されています。


残念ながら、被覆されているため、

全長26mの内どの部分が”ねじりまんぽ”だったかは確認出来ませんでした。


以上の調査データをまとめ、データシートとしてPDFにしました。

  ⇒⇒No26 東皿池橋梁 調査データ(PDF)



平成26年6月13日撮影

開業当時のものかどうか確認出来ないがビシャン仕上が見られる(東側側壁)

西側側壁の全面ビシャン仕上げ 東側側壁の最上段ビシャン仕上げ


■なお上記「調査ーデータ」を作成するにあたっては、下記の考えに従いました。

●ねじりまんぽの番号
 /「鉄道と煉瓦」表4-1”一覧表”(P117)における番号を採用。

●方向
 /東西南北の表示は主たる方向とした。

●経度緯度
 / Google Earth より求めた。

●煉瓦形状
 /手作り煉瓦であるので寸法にバラツキがある。故に代表値。

●積み方/イギリス積み、オランダ積みの区分
 /コーナーの仕上げ形状により、イギリス積みとオランダ積みが区分されるので、
 /文献「鉄道と煉瓦」にならい、一般的に”イギリス積み”と表記。
 /ただし、コーナー部が”オランダ積み”と確認できたもののみ”オランダ積み”と表記。

●θβの左右区分
 /「鉄道と煉瓦」にならい、側壁に向かってアーチの煉瓦が右上がりの場合「右」 、左上がりの場合「左」 と表記。

●中心キロ程
 /現行距離程による。(開業時とは異なる)


位置図



マスコミで紹介されました

朝日新聞・阪神版、インタビュー
平成28年11月5日/朝日新聞・阪神版

■またまた、呼ぶんです。「ねじりまんぽ」は・・・・。

昨年秋、「奥田端のねじりまんぽ」を見に行った直後に”関テレ”が来社。

今年2月には毎日新聞(京都版)も来社。

3月に狭山池放流水路の「東除川橋梁」を探検した直後には、

朝日新聞・大阪版からインタビュー依頼が有りたけちゃんが対応。

そして今回、10月29日に三重の(仮)栃原橋梁を見に行くと、

31日には朝日新聞・阪神支局からメールでインタビューを依頼が来ました。

新聞写真をクリック⇒大きな画像が開きます

■11月1日、15分ほどでしたが、

電話で、質問に答える形でインタビューを受けました。

西宮にある「東皿池橋梁」がテーマで、

「ねじりまんぽ」の構造や歴史、魅力についてお話しました。

11月5日発行、朝日新聞・阪神版の

   「Re:お答えします@はんしん」

というコーナーです。


■記事では

   「ねじりまんぽに魅せられ、各地を歩く人」

そして、

   「計測データなどの情報をネット公開している」

と紹介されました。また、

   「現存するねじりまんぽは、全国に28カ所」

   「明治の煉瓦橋は阪神・淡路大震災でも崩れず、いまも電車走る『現役』」

   「昔の技術者の心意気」

と言った内容が掲載されました。

■詳しい掲載内容は下記をご覧下さい。

朝日新聞デジタル(外部リンク)/無料登録をすれば全文読めます。 (記11/11)


INFORMATION

1.「ねじりまんぽ」とは
2.「ねじりまんぽ」を見に行こう
3.「ねじりまんぽ」の構造
4.「ねじりまんぽ」建設再現
5.番外偏
6.マスコミで紹介されました
7.「ねじりまんぽ」一覧表
8.参考文献/参考外部リンク

参考文献

1) 斜架拱(しゃかきょう)
/伊藤鏗太郎(イトウ コウタロウ)編訳/1899年(明治32年)

 我が国で初めて斜架拱”ねじりまんぽ”を単独で取り上げた書物と思われます。
 国立国会図書館・蔵書検索システム(外部リンク)で検索すると、原著のPDFデータを閲覧ダウンロードすることができます。


2) 鉄道と煉瓦−その歴史とデザイン

/著者;小野田 滋(おのだしげる)/鹿島出版会/2004発行

 煉瓦の歴史や組積方法鉄道構造物としてのデザイン等について記されています。
 全国45都道府県を調査した”足で書かれた論文”で、現在も購入可能です。


3) 阪神間 ・京阪間鉄道における煉瓦 ・石積み構造物とその特徴

/著者;小野田 滋/土木史研究 第20号/2000.5

 京阪神間の煉瓦 ・石積み構造物の特徴を捉え、現地調査結果をまとめています。(PDF/外部リンク

4) 組積造による斜めアーチ構造物の分布とその技法に関する研究
/著者;小野田 滋、河村清治、須貝清行、神野嘉希/土木史研究 第16号/1996.6

 「ねじりまんぽ」の分布や技法についてまとめた論文です。(PDF/外部リンク

5) 関西地方の鉄道における「斜架拱」の分布とその技法に関する研究」

/JR西日本 河村清治、小野田滋、木村哲夫、菊池保孝/土木史研究 第10号/1990.6

 JR西日本管内の「ねじりまんぽ」を本格的に調査し、まとめています。(PDF/外部リンク



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